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歴史(れきし)

  • 年表(ねんぴょう)
  • 愛知用水(あいちようすい)

年表

西暦(せいれき) 和暦(われき) 市のできごと 社会の動き
1886年 明治(めいじ)19年 武豊(たけとよ)線が通る
1887年 明治20年 大府駅ができる  
1888年 明治21年 東海道本線が通る
1906年 明治39年 大府・横根(よこね)北崎(きたざき)・共和・長草(ながくさ)・吉田・森岡(もりおか)の7つの村が集まって大府(おおぶ)村となる(人口8,243人)  
1914年 大正(たいしょう)3年   第一次世界大戦(たいせん)が始まる
1915年 大正4年 大府町になる(人口8,412人)  
1916年 大正5年 電灯(でんとう)がつく  
1923年 大正12年   関東大震災(だいしんさい)がおこる
1933年 昭和8年 共和駅ができる  
1941年 昭和16年   太平洋戦争(せんそう)が始まる
1945年 昭和20年   戦争が終わる
1959年 昭和34年 伊勢湾台風がくる
1961年 昭和36年 愛知用水が通る
1964年 昭和39年 東海道新幹線が通る
1970年 昭和45年 大府市になる(人口48,540人)*1 大阪万国博覧会(ばんこくはくらんかい)開催(かいさい)が開かれる
1971年 昭和46年 知多半島道路ができる
1980年 昭和55年 歴史民俗資料館(れきしみんぞくしりょうかん)*2・中央図書館ができる  
1985年 昭和60年 市民(しみん)体育館ができる  
1987年 昭和62年 健康(けんこう)づくり都市宣言(せんげん)」*3をする  
1991年 平成(へいせい)3年 勤労(きんろう)文化会館ができる  
1997年 平成9年 あいち健康(けんこう)プラザができる  
1998年 平成10年 伊勢湾岸(いせわんがん)自動車道ができる
2000年 平成12年 新しい市役所ができる  
東海豪雨(ごうう)で市内に水害(すいがい)がおきる
2005年 平成17年   知多半島に中部国際(ちゅうぶこくさい)空港ができる

*1市になってもうすぐ40年。今の人口は約84,600人なので、そのころより約36,000人も増えていることになるね。
*21階の展示室(てんじしつ)には、明治(はじ)めから昭和40年代までの資料が集められている。むかしの農家が再現(さいげん)されていて、そのころの人がどんな()らしをしていたかがわかるよ。
*3「健康は、(わたし)たちにとって最大(さいだい)財産(ざいさん)であり、自分で守り、つくるものであるということを自覚(じかく)して体力づくりなどをする」と宣言した。今も「健康(けんこう)都市」というのが、まちづくりの基本(きほん)の考え方になっている。

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愛知用水

写真:愛知用水丘が多く、大きな川がない知多半島は、むかしから 日照(ひで)りの(がい)に苦しんでいた。1944年(昭和19年)年と1947年(昭和22年)は、(とく)に雨不足(ぶそく)がひどく、米ができないところもあって、農民(のうみん)はとてもこまっていたんだって。
1948年(昭和23年)年、久野正太郎(くのしょうたろう) さんと浜島辰雄(はまじまたつお) さん は「木曽(きそ)川の水を知多へ」という人びとの(ねが)いをかなえるために、愛知用水を作る運動を始めたんだ。その結果(けっか)、1955年(昭和30年)年に愛知用水公団(こうだん)ができ、国の仕事として愛知用水の工事が始まったよ。約422(おく)円ものお金をかけて、5年後の1961年(昭和36年)年に完成(かんせい)!!
図:水源(すいげん)から知多半島まで愛知用水は、木曽川の上流に作られた 牧尾(まきお)ダムの水を岐阜県八百津(やおつ)兼山(かねやま)で取り入れ、尾張(おわり)東部を通って知多半島まで、幹線水路(かんせんすいろ)は112kmにわたっている。その水は、水道用水、農業用水、工業用水として使われているんだよ。

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