|
|
|
● 中世 |
|
■ 鎌倉・室町 |
|
12世紀末期、鎌倉幕府成立により、全国に守護地頭が設置されると、尾張国には守護として小野氏・中条氏・名越氏(北条氏一門)が任命され、尾張国内の荘園には地頭が設置され、幕府の御家人が入部し、幕府の支配が及ぶようになった。 |
|
■ 戦国 |
|
応仁の乱以後、幕府の権力の衰退とともに地方も乱れはじめた。尾張国内も各地で動揺がおこり、守護斯波氏にかわり守護代織田氏やその一族が実権を握りはじめた時期であった。 |
|
|
しかし、織田氏と和睦した水野氏は半島北部を確保した。 |
|
|
|
東への進出をもくろむ駿河の今川氏の勢力は尾張国にまでおよびはじめ、永禄元年(1558)から同4年にかけて、石ヶ瀬川畔(大府市と東浦町境付近)で織田氏対今川氏、水野氏対松平氏の合戦(石ヶ瀬川の合戦)がたびたびおこり、織田・今川両勢力の攻防が半島各地の城をめぐって繰り広げられた。 |
|
そして、桶狭間の戦いで今川義元が討死し、今川氏の勢力は後退した。この戦いに勝利した織田信長は今川方の松平元康(のちの徳川家康)と和睦し、尾張国を統一した。市域には追分城(追分町)や横根城(横根町)の築城や首塚(中央町・若草町など)の存在など、戦乱の世の痕跡が伝えられている。 |
|