大府の歴史

 

 

● 近代現代

■ 近代

 幕末維新後、明治2年(1869)の版籍奉還で尾張藩は名古屋藩になり、鳴海陣屋は廃止され、以前の支配体制は終焉した。明治政府による矢継ぎ早の改革の中、廃藩置県(明治4年)で名古屋藩から名古屋県となり、知多郡はここに編入された。
 その後、三河10県が統一して(明治4年11月)額田県になると、知多郡が繰り入れられた。明治5年11月には現在の愛知県となった。
 この時地方制度も制定され、市域は額田県第一大区一小区と同二小区になり(明治5年1月)、すぐに愛知県第七大区一小区に編入し、庄屋を廃止し戸長を置いた。全域が愛知県第七区に入り(同9年8月)、郡区町村編成法(明治11年7月)で大区・小区が廃止された。
 明治以降、村の合併や分離はあったが、明治22年に大府村などの7ケ村に集約され、明治39年には森岡村となっていた旧村木村(東浦村編入)を除く七ケ村が合併し、「大府村」となった。初代村長は鈴置善平氏であった。

 近代化の波は市域にも及び、明治19年には武豊線が開通し、翌20年には大府駅が営業を開始、さらに翌21年には東海道本線が開通し、東海道本線と武豊線の分岐点として、交通の要衝となった。
 その後、大正4年11月には町制を施行し、初代町長に深谷甲太郎氏が就任した。

かつての大府駅舎
(かつての大府駅舎)

 

■ 現代

 戦後、市内には、愛知用水が建設され、農業基盤の整備が進む一方で、繊維産業などの工場が操業していたが、徐々に自動車産業関連の工場も進出を開始した。国道23号(通称名四国道)・知多半島道路の開通などはその傾向を推し進めた。

市役所新庁舎
(市役所新庁舎)

 雇用の場の増加は人口増をもたらし、昭和45年9月1日県下24番目の市として市制を施行し、大島武雄氏が市長になった。
 その後も人口が増加し名古屋市の衛星都市化し、各地で住宅地開発が進むなど、市の様相がかわりつつある。そして平成12年9月には新しい市庁舎が完成し、新しい発展の段階を迎え、現在に至っている。

 

 

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