大府市の沿革

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ページ番号1010351  更新日 2019年6月5日

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大府市の沿革

大府(おおぶ)は「桟敷の貝塚」や「高山古墳」などの遺跡から考えて、縄文時代から人が住んでいたことがうかがわれます。
地名の起こりはその昔、村人たちが都の高官七津大夫という人を、「大夫さま」と尊称していたことから徳を幕って「大夫」となり、その後、伊勢神宮の大符を村へ納めたのにちなんで「大符村」に改称したといわれ、これがいつからか「大府村」になったようです。
室町時代から戦国時代にかけては、このあたり一帯も戦場になったことが、桶狭間や石ヶ瀬の古戦場、そのほか城や砦の跡が地名として残っていることから容易に想像できます。
江戸時代に入って、東海道五十三次の宿場として、知立、鳴海が栄えたころ、半月村、吉川村、長草村、八ツ屋新田など当時の村は鳴海陣屋の管轄を受け、純農村として徐々に発展を続けながら明治を迎えました。
明治元年には、大府村をはじめ16カ村でしたが、部分的な合併、分離を経て7ヶ村に、明治39年、その7ヶ村が合併して大府村となり、現市域が確定しました。明治19年に武豊線が開通、翌20年には大府駅が営業を開始、さらに翌21年には東海道本線が開通し、東海道本線と武豊線の分岐点として、今日の発展につながるれい明をもたらしました。
大正4年町制を施行、昭和45年9月1日、県下24番目の市として市制を施行しました。

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大府市役所
〒474-8701 大府市中央町五丁目70番地
代表電話:0562-47-2111 代表ファクス:0562-47-7320