大府にまつわる偉人

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ページ番号1007198  更新日 2019年12月26日

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【大府にまつわる偉人】特別展・企画展で紹介した方を中心に紹介します
 名称  主な業績 開催年

濱島月涛
(はまじま げっとう)

 文化9年(1812)から明治25年(1892) 北尾村生まれ
北尾村の庄屋(弥寿七)として五箇村川の改修に係わるほか、

地域の文化人として画・俳句に才能を見せる。神田小学校東南に「濱島翁表徳碑」がある。

昭和56年度、平成12年度、平成23年度、

令和元年度

山本春松
(やまもとしゅんしょう)
生年不詳から明治3年(1870) 半月村生まれ
半月村の庄屋(彦右衛門)を勤めるほか、俳諧を好み若泉亭春松と号して知多一円にわたり俳諧活動を行い、『告天集』を発行している。
京都の桜井梅室一門が尾張に広まるきっかけとなった。

昭和58年度、平成11年度、

令和元年度

服部長七
(はっとり ちょうしち)
天保11年(1840)から大正8年(1919) 碧南市生まれ
明治7年(1874)から「長七たたき(人造石)」を使って港や新田干拓堤防などの土木事業に従事し、明治30年(1897)には、市内五箇村川にある樋門(明神川・五箇村川)改修を請け負う。

平成10年度、

令和元年度

浜島辰雄
(はまじま たつお)

大正5年(1916)から平成25年(2013)豊明市生まれ
知多半島に木曽川の水を引くための「愛知用水概要図」を作成し、愛知用水実現への道筋を作り、自身は愛知用水土地改良区の技師として用水事業に尽力した。

平成17年度、平成23年度、

令和元年度

久野渓流
(くの けいりゅう)
明治40年(1907)から平成18年(2006) 大府村北尾生まれ
大正11年(1922)より久野襦鶴の門に入り、連句・俳句を学び、昭和43年(1968)に無名庵十八世から芭蕉本廟無名庵一列宗匠を名乗ることが許される。
文化協会では大府俳檀を主宰。桃山公園に渓流の句碑がある。
平成19年度
大倉和親
(おおくら かずちか)
明治8年(1875)から昭和30年(1955) 東京市生まれ
日本陶器合名会社(現:ノリタケカンパニー)の初代社長。明治末よりガンジ山一帯で桃の栽培農園を管理させ、大正期には、「大府の桃山」と親しまれる。
農園の一画に別荘を所有(大正10年から昭和19年)、昭和11年より大倉農園を桃山園芸住宅に分譲区画整理し、桃山簡易水道を敷設

平成27年度、

令和元年度

小股久
(おまた ひさし)
生没年不詳  名古屋市生まれ
作曲家、大倉別荘表門脇部屋に昭和20年から31年まで間借りしていた。
「大府音頭」「大府高校校歌」を作曲
平成27年度、平成29年度
鈴木政吉
(すずき まさきち)
安政6年(1859)から昭和19年(1944) 名古屋市生まれ
国産ヴァイオリンをめざし、鈴木バイオリン製造会社を創立。晩年を大府に建てた分工場近くの済韻研究所で過ごす。
政吉が書いた書軸が2本、歴史民俗資料館に収蔵されている。

平成29年度、

令和元年度

高橋広治
(たかはし ひろじ)

明治18年(1885)から昭和54年(1979) 静岡県磐田郡笠西村生まれ
大正11年(1922)より大府に「日本家禽研究所」を設立し、養鶏を近隣に広め、雛の雌雄鑑別に尽力する。
北山小学校北に「養鶏王 高橋先生顕彰碑」がある。

令和元年度

加藤秋太郎
(かとう あきたろう)

明治2年(1869)から昭和29年(1954) 大府村生まれ
若い時に東京で寿司修行をし、明治41年(1908)より北海道小樽で店を開業する一方、観光地として「オタモイ遊園地」を昭和10年から16年まで経営する。しかし、崖崩れ、火事などにより遊園地は無くなった。現在、小樽市総合博物館で、当時の業績を紹介している。
令和元年度
永田雅宜
(ながた まさよし)
昭和2年(1927)から平成20年(2008) 大府町峯畑生まれ
1960年代・70年代に数学における代数幾何に関する証明が認められる。特に、ヒルベルトの23の問題のうち、第14問題について否定的に解決する。「数学は覚えるものではなく考えてわかるもの」という姿勢で、小・中学生にもわかる数学の教育者としても知られている。
令和元年度
冨田九郎(とみたくろう)

文政11年(1828)から大正3年(1914)追分新田村生まれ

「勤王の志士」たちで組織された会の会員となり慶応3年(1867)の高野山蜂起、慶応4年(1868)の「鳥羽・伏見の戦い」に同志とともに従軍した。

令和元年度
左藤了秀(さとうりょうしゅう)

元治元年(1864)から昭和20年(1945)横根村生まれ

明治42年(1909)に、毎日の生活の中で導くのは母親であるという信念のもと、子女教育の必要性から「大谷裁縫学校」を創設し、その後は文部省認可等を受け「大谷女学校」「大谷高等女学校」と一貫して子女教育を進めた。

令和元年度

 

このページに関するお問い合わせ

歴史民俗資料館
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ファクス:0562-44-0033
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