近代・現代
近代
明治2年(1869)版籍奉還により尾張藩は名古屋藩になり、鳴海陣屋は廃止されました。明治政府による矢継ぎ早の改革の中、廃藩置県(明治4年)により名古屋藩は名古屋県となり、知多郡は名古屋県に編入されました。
その後、三河10県が統一して(明治4年11月)額田県になると、知多郡は額田県に繰り入れられ、明治5年11月、現在の愛知県となりました。
大府は、愛知県第七区と呼ばれるようになりました。明治11年(1878)郡区町村編成法の施行により、知多郡役所が半田村におかれました。
近代化の波は市域にも及び、明治19年(1886)には武豊線が開通し、翌20年には大府駅が営業を開始、さらに明治22年(1889)7月には東海道本線が全線開通すると大府は、東海道本線と武豊線の分岐点として交通の要衝となりました。
明治以降、村の合併や分離は多々ありましたが、明治39年(1906)5月、森岡村となっていた旧村木村(東浦村編入)を除く七ケ村が合併し、「大府村」となりました。この時、事務取り扱いを引き受けたのは、北崎村の鈴置善平氏でした。
その後、大正4年(1915)11月には町制を施行し、初代町長に深谷甲太郎氏が就任しました。
現代
昭和36年(1961)愛知用水が建設され、農業基盤の整備が進む一方で、繊維産業などの工場が操業していましたが、国道23号(通称名四国道)・知多半島道路の開通などの地理的立地条件にも恵まれ、徐々に自動車産業関連の工場進出が始まりました。 雇用の場の増加は人口増をもたらし、昭和45年9月1日県下24番目の市として市制を施行し、大島武雄氏が初代市長になりました。その後も名古屋市の隣接都市として各地で住宅地開発が進むなど人口が増加し、発展してきました。
これまでの本市の主な施策として、市民の健康づくりの推進を図るために昭和62年(1987)3月には「健康都市宣言」をし、健康都市宣言から20年経った平成18年(2006)WHOの提唱する健康都市連合に加盟しました。また、健康長寿に関する一大交流拠点を創るため、平成20年度に「あいち健康の森」を中心としたウェルネスバレー基本計画を策定しました。
また、「スポーツのまち おおぶ」をスローガンに、コミュニティスポーツから発生した「とうちゃんソフト」を始め、スポーツ少年団等の子どもから大人までの世代や体力に応じた地域スポーツが盛んに活動されています。生涯スポーツの推進による国民の体力・健康増進施策として、文部科学省が提唱している各市町村に地域スポーツの発展を目的とした総合型地域スポーツクラブを、平成22年(2010)「OBUエニスポ」として設立しました。また、「金メダルのまち おおぶ」として、国民栄誉賞を受賞された「吉田沙保里」さんを始めとして、大府市ゆかりの方々が、現在オリンピックの金メダルを14個獲得されました。
平成12年(2000)9月には新しい市庁舎が完成し、令和2年(2020)9月には市制50周年を迎え、現在に至っています。
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