大府の歴史

このページの情報をツイッターでツイートできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます
このページの情報をラインでシェアできます

ページ番号1002331  更新日 2024年4月10日

印刷大きな文字で印刷

旧石器時代から現代へ

大府には、旧石器時代の石器が発見された市内最古の共栄遺跡をはじめ、弥生時代後期の子安神社遺跡、古墳時代の惣作遺跡などがあります。惣作遺跡からは、境川流域での人々の生活が想定されます。
また、戦国時代には、織田氏対今川氏、水野氏対松平氏の合戦として石ケ瀬の戦いが繰り広げられ、市内には追分城や横根城、首塚など、戦乱の世の痕跡が多数、残されています。
明治39年に七つの村が合併して大府村となり、現在の市域になりました。その後、昭和45年9月1日に県内24番目の市として誕生します。歴史民俗資料館には明治初期の民家が復元され、農業を営んでいた家族の人形が縄ないや針仕事をしています。文化財や史跡の資料、遺跡の出土品などの展示もあり、当時の人々の生活の様子を知りながら、大府の歴史をじっくり学ぶことができます。

追分城址

追分城址

永禄2年、稲垣淡路守が築城したと伝えられます。古文書によれば、城址の大きさは東西約66メートル、南北約84メートルです。

吉川城址

吉川城址

応永4年、吉川入道が築城した後、花井勘八の居城になりました。天正8年に廃城になったと伝えられます。

古窯跡

古窯跡

10から13世紀ごろの陶器を焼いた窯跡が、市内の丘陵地にある斜面のあちこちに見られます。

おしも井戸

おしも井戸

弘仁5年、弘法大師が巡視のために三河から尾張に上陸し、その際、宿泊した伝説の場所です。

石ケ瀬川

石ケ瀬川

永禄元年からの4年間、織田氏対今川氏、水野氏対徳川氏が合戦した場所です。

常夜燈

常夜燈

江戸時代に村の安全のために建てられたもの。一晩中つけておく石製の燈火台で、現在は北尾、吉田に残っています。

惣作遺跡

惣作遺跡

昭和45、46年に発掘調査を始め、弥生・奈良・平安時代の土器が出土した歴史遺跡。

子安神社遺跡

子安神社遺跡

昭和57、58年に発掘調査を開始。弥生・古墳時代の土器で、特に祭紀用と思われる小型土器が多数出土しました。

共栄遺跡

共栄遺跡

旧石器時代の石ぞく(石でつくった矢の先端)が発見されました。

このページに関するお問い合わせ

歴史民俗資料館
電話:0562-48-1809
ファクス:0562-44-0033
歴史民俗資料館へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。