明神樋門・明神川逆水樋門が国の登録有形文化財に登録されました

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ページ番号1016913  更新日 2021年2月8日

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 大府市横根町地内にある明神川・五箇村川の明神樋門(みょうじんひもん)と明神川逆水樋門(みょうじんがわぎゃくすいひもん)が、令和3年2月4日の官報告示により国の登録有形文化財(土木構造物)に登録されました。
登録有形文化財とは、歴史的な建造物などを活用しながら保存するという目的で、国が登録する文化財のことです。
 明神樋門、明神川逆水樋門ともに、築100年以上経過する現在も、樋門としての役割を果たしており、人造石工法の発案者である服部長七(はっとりちょうしち)の開発に関係する貴重な人造石遺構である点が大きく評価され、国の文化審議会の答申を経て、国の登録有形文化財に登録されました。
 本市は登録にあたり、愛知県に積極的に申請に向けて働きかけ、令和元年12月に文化庁に登録申請を行いました。今回の登録で、本市の国登録有形文化財は4件となりました。

 明神樋門、明神川逆水樋門は、愛知県大府市横根町地内の尾張と三河の境となる境川の右岸にある五箇村川と明神川が交差するところにあります。江戸時代からこの辺りは農業が盛んでしたが、明治24年(1891年)の濃尾地震やその後の水害で木製樋門が被害を受け、新たに改修する必要が出てきました。その時、新たに丈夫な樋門へ作り変えるために選ばれたのが服部長七(はっとり ちょうしち)が開発した人造石工法でした。
 
明神樋門と明神川逆水樋門の特徴
 明神樋門は、明治34年(1901年)に建設された、明神川の下を横断する五箇村川にある樋門です。途中石ヶ瀬川に合流し、衣浦湾(三河湾)に流れます。
明神川逆水樋門は、大正5年(1916年)に建設された、五箇村川の上を横断する明神川にある樋門です。境川から川の水が逆流することを防ぐために、以前はゲートが設置されていた痕跡があります。

 樋門とは、川や排水路の堤防を交差するトンネルのことをいいます。樋門の主な役割として、大きな川から逆流する水を止める役割を果たします。

 服部長七とは、愛知県碧南市出身の左官屋で、明治時代に人造石工法を考案し、全国に普及させた土木事業家です。東京都でたたき屋を開業して、在来の左官技術を改良し、大規模土木工事にも応用できる人造石工法を開発した人物です。東海地方では、四日市の潮吹き防波堤(重要文化財指定)、豊橋の神野新田干拓、名古屋築港工事などを手がけ、日本の近代土木の礎を築きました。人造石工法は、コンクリートがまだ高価で普及していなかった時代に、水と三河産の真土(まさつち)と石灰を混ぜて練った人造石を使った工法で、「長七たたき」とも呼ばれています。自然の原料で作られているため、現代ではエコな工法とも言われています。

明神樋門北側【上流側】
明神樋門 北側(上流側)
明神川逆水樋門西側【上流側】
明神川逆水樋門 西側(上流側)

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歴史民俗資料館
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ファクス:0562-44-0033
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