大府バイオリン縁起 - Obu,die Stadt der Geigen - 子ども向け解説
鈴木政吉(すずきまさきち)ってどんな人?
鈴木政吉は、今から約170年前に名古屋の武士の家に生まれました。
武士とはいえ、びんぼうな家だったので若いころから三味線を作っていました。
あるとき政吉はバイオリンを目にし、三味線ではなくバイオリンを作ることを決心しました。
苦心して作ったバイオリンは、日本だけでなく世界中の博覧会 (はくらんかい)でみとめられ、多くの賞をもらいました。
やがて世界中にバイオリンを売り、トヨタループを作った豊田佐吉(とよだ さきち)とともに、「名古屋の大発明家」として表しょうされました。
鈴木政吉のココがスゴイ!
鈴木政吉は、今も続く日本のバイオリンメーカーの中で最も古い会社を作った人物です。
同じくらい古い楽器メーカーは、ピアノで有名なヤマハだけです。
また、良いものを安くたくさんつくるため、多くの機械を発明し、作られたバイオリンは海外にも輸出されました。アインシュタイン博士という世界的な物理学者にバイオリンをプレゼントして、とてもよろこばれ、お礼の手紙をもらいました。
その手紙のレプリカは、大府市歴史民俗資料館で見ることができます。
大府にあったバイオリン工場
大府にバイオリン工場ができたのは昭和10(1935)年のことです。
鈴木政吉の子どもの鈴木梅雄(すずき うめお)という人が中心になって、今の至学館(しがくかん)大学の近くに工場をたてました。バイオリンづくりで有名なドイツの村のように、村じゅうでバイオリンづくりを行うことを夢に描いていたのです。
しかし、戦争が始まると楽器作りはできなくなり、最後は軍の命令で、バイオリン工場を手ばなすことになりました。
済韻(さいいん)研究所ってどんなところ?
研究所は、バイオリン工場の近く(今の梶田町五丁目交差点北東方向)にありました。
鈴木政吉はそこで暮らし、音の鳴りかたやひびき、新しい楽器についての研究を、亡くなるまでつづけました。また、工場の職人たちがすべて手作りした特別なバイオリンを、政吉はこの研究所でチェックしていたそうです。
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