長草町の名前の由来

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ページ番号1007209  更新日 2018年10月25日

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 明応年間(1492から1501)に地頭の藤原氏部が家人に開墾させたのが、この地の起源であるといわれています。長い草が繁茂していたことからその名があります。

 

長草町各字の由来

本郷(ほんごう)

 長草村の中心集落であったことに由来します。

いせ木(いせぎ)

 堰(せき)があったことに由来します。

凪場(なぎば)

 平らなところに由来します。

墓所根(むしょね)

 市域には、両墓制(埋め墓と参り墓の二つの墓をつくること)をとっているところが多くありました。特に埋め墓を「むしょ」とか「三昧」といいました。ほかの字をあてることの多い地名のなかで、ここはお墓を表す地名として残っています。

田ノ神(たのかみ)

 田畑を開墾するとき、原野や山林に「山の神」を祀り、山や野を支配するとされる神のたたりを封じ、加護を念じ、農作物の豊作を祈りました。「山の神」は、春には山から下って「田の神」となり、秋に収穫をもたらして山に帰ると信じられていました。

山口(やまぐち)

 吉田地区の山ノ脇北ノ脇や長草地区の山口と、東海市富木島町との境界は直線的です。これは、かつて隣接町との間で境界変更がされたことによるものです。「山口」は、大半が旧飛行場の跡地で、現在「株式会社豊田自動織機」の自動車組立工場となっています。かつては「ヌメリ川」という字名でした。旧名がカタカナで、横書きの場合「ヌ刈川」と誤記誤読されやすいので、昭和41年に、当時の町長の名に変更しました。

 

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