川、ため池の名前の由来

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ページ番号1007212  更新日 2018年10月25日

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 市内を流れる川や池にも、その名には由来があります。ここでは、そのうちのいくつかをご紹介します。

 文字通り尾張と三河の境界となっているのが「境川」で市域の東を流れています。その他のおもな川に市の南西部を流れる「石ヶ瀬川」、中央部を流れる「鞍流瀬川」があります。「瀬」は浅い川を「クラ」は川岸が崖になっていることを意味しています。二つの川とも水深の浅い川です。五ヶ村川は、北尾・近崎村など五か村の排水のために開削したことからその名があります。

鞍流瀬川(くらながせがわ)の名の由来

 桶狭間の戦いで敗れた今川方の武士が、この地の川沿いに逃れてきました。ところが、人馬ともに疲れ果てていたため、足をすべらせて川に落ちてしまいました。大雨のために川は増水し、人と馬はかろうじて岸にあがることができたものの、鞍は流されてしまいました。 これ以来、土地の人は、この川を「鞍流れ川」と呼ぶようになり、これが鞍流瀬川の名前の由来といわれています。

ため池

池は水不足を解消するために造られるものもありますが、新田開発と同時に着手するのが普通です。丘陵が多く、河川に恵まれない大府市域では、灌漑用水をため池に依存する場合が多く、愛知用水通水前のため池数は100カ所を超えていました。近世に建設された池は、「新池」と呼ばれることが多く、市内に大府と吉田町にその名が残っています。また、建設者の名をあてることも多く、弥左エ門池・権兵エ池・惣左エ門池などがみられます。雨水をためた灌漑用の池で、二つの村にまたがって管理される池を「立合池」といいます。市内には6カ所ほどあったことが記録されています。川の水を引き込み、用水としてためた場合は「川池」と呼びました。二つならんでいる場合は「二つ池」、大きなものを「大池」、龍が住むようなところを「辰池」、狭いものを「午池」といって、市内にいくつかその名がみられます。

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