第32話 平和をつなぐ

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ページ番号1015779  更新日 2020年10月28日

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家族でテレビ番組を見ている大

「お、大。お前も見ておきなさい」
休日にベッドの上で満喫していたら喉が乾いたので何か飲もうとリビングに入ると父さんたちが気難しい顔をしていた。
「今ちょうどテレビで戦争についての特集をしててね、実際に経験した人のインタビューを見ていたところなのよ」
「お前ももう大学生だからな。こういった話を知ることも必要だ」
たしかに父さんの言う通りだ。
「じいちゃん、今年で戦後何年になるんだっけ」
「75年じゃよ。わしもまだ小さかったからのぉ。母さんたちから聞いた話しか知らんのじゃ」
「75年も経つと当時の事を話せる人もかなり少なくなってきたからねぇ。こういう話を聞けるのは貴重なことよ」
日本で戦争があったことは小学生の頃から授業で習ったりテレビで見て知っていたけれど、今の平和な世の中からはあまり想像できない。
「じいちゃんはどんな話を聞いたの?」
「そうじゃなぁ。大は小学校の時のことは覚えとるか?」
「あー、あんま覚えてないけどある程度は。昼休みとかに外で走り回ってた記憶はあるよ。あと体育はすごい楽しみだったかな」
「当時の小学校は『国民学校』 と呼ばれていたんじゃ。それに大が楽しみで仕方なかった体育は長い竹やりで稽古をしていたそうじゃ」
「稽古?」
「男の人は召集令状が来れば兵隊となって戦うことになってたから、そのための稽古よ。それ以外なら学校外にある畑で野菜を育てていたそうよ」
「ええっ、マジかよ!そんな小さい頃から戦うための教育をされてたのか…」
「それに英語は教わらなかったと聞いたぞ。敵国の言葉を使うわけにはいかなかったそうじゃ」
「そこまで制限されてたなんて知らなかったなぁ。俺だったら絶対途中でちょっと喋っちゃう自信あるよ」
「その時は大が怒られるだけじゃ。かわいそうにのぉ」
じいちゃんは愉快そうに大声で笑った。
「卒業したら工場で働いたんですって。戦争のための道具や部品を作っていた大きな工場は敵国から狙われて空襲の被害に遭っていたそうよ。母さんも友達を亡くしたと聞いたわ…」
正直聞いてるだけで怖いけど絶対に風化させちゃいけない話だ。戦争の恐ろしさを知らないとまた同じことが起きる可能性だってある。それだけは嫌だ。
「そういえば大府では毎年7月に中学生が平和大使として広島か長崎に派遣されてますよね」
「平和な世に生まれたからこそ知る必要があることもある。良い心掛けじゃ」
「平和について見つめ直す良い機会になりそうだね」
戦争はたくさんの人から大切なものを奪っていった。悲しいだけの歴史は繰り返しちゃいけない。だから、これからを生きる俺たちがしっかり考えていかないとな。(11月1日号へ続く)

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